1809年、スウェーデンに帰属していたフィンランドはロシア帝国の統制下におかれました。19世紀の終わり、ヨーロッパ経済が盛り上がりを見せ、食器等のテーブルウェアへの需要がロシアでも高まりました。スウェーデンの陶器メーカーのリーダー的存在でもあったロールストランド社はロシア市場に進出することに意欲的となり、関税の面でスウェーデンよりも有利なフィンランドに工場を設立することとしました。1873年、ロールストランド社はヘルシンキの北部、アラビアと呼ばれていた地域に工場を設立する許可を得ますが、このことがアラビア社と呼ばれる所以となります。磁器、陶器、ファイアンス製陶磁器といった多くの製品がここで生み出されました。

左側:19世紀のFasanシリーズのボウル、右側:19世紀終わりのアラビア社の装飾部門
初期の陶器製品
1874年、初めてのお皿の作品がアラビア社によって製作されました。初期の作品はシンプルそのもので、装飾のない真っ白なものでした。数年後、”Fasan”、”Japan”、”Willow”といった、装飾が入ったシリーズを手掛け始めますが、フォルムや模様はロールストランド社が製作していたものとほぼ変わりませんでした。というのも、技術ある職人や会社の重要な地位にある者はほとんどスウェーデンのロールストランド社から来ていたからです。
左側:1900年代初頭の花をあしらったThure Obergの花瓶、右側:1913年のJac AhrenbergのFenniaの花瓶
近代化とデザイナーの採用
1893年、経営最高責任者に抜擢されたGustav Herlitz (1855-1923)は近代化を推し進め、新しい窯や、土、タイル制作のための鋳造所を改善します。彼はまた特別な装飾部門を立ち上げ、有名なデザイナーであるThure Oberg (1872-1935)やJac Ahrenberg (1847-1914)を採用します。アラビア社は1900年にパリで開催された世界的な展示会に参加しますが、Obergの努力により見事金賞を受賞します。彼は特に、手描きのフィンランドの風景や草花と言ったモノクロの装飾が得意でした。
左側:ハトを抱くTyra Lundgren、右側:Tyra Lundgrenが1931年に制作した一点ものの炻器のハト
独立とTyra Lundgren
第一次世界大戦(1914-1919)はロールストランド社に経済的打撃を与えます。ロールストランド社は残っていたアラビア社の株を売却せざるを得ない状況となり、それがアラビア社がフィンランド企業として独立するきっかけとなりました。工場はゼロの状態から始まりましたが、すぐに生産が拡大していきました。1930年代、1940年代には、アラビア社はいくつかのスウェーデン陶器メーカーの過半数の株を取得しましたが、その中には以前親会社であったロールストランド社も含まれていました。この時期には、スウェーデン出身のTyra Lundgren (1897-1979)が、アラビア社では一人のデザイナーとして、そして少しの間だけロールストランド社ではアート部門の統括者として働いていたりしました。
左側:Kurt Ekholm とKaj Frank、右側:Sinivalkoテーブルウェアシリーズのお皿
アラビア社のアート部門の始まり
1932年、陶芸家であるKurt Ekholm (1907-1975)が、アラビア社のアートリーダーに指名されたことをきっかけに、のちに世界的に著名となる同社のアート部門を設立します。これがアラビア社の新たな時代の幕開けとなりました。彼は、PekkaシリーズやSinivalkoシリーズといった洗練された形とすっきりした装飾を施しながらも、機能性を兼ね備えた製品を生み出し、各家庭の生活用品に大きな影響を与えました。Ekholmはまた、若い才能を見つけ出すことにも長けており、Michael Schilkin (1900-1962)、Birger Kaipiainen (1915-1988)、Kaj Franck (1911-1989)、Rut Bryk (1916-1999)、Toini Muona (1904-1987)といった、後にフィンランドの先駆的なデザイナーとなる彼らを雇うことにも成功しました。
1945年のアラビア社の有名なデザイナーたち。左から順に: Aune Siimes、Michael Schilkin、Toini Muona、Friedl Holzer-Kjellberg、Kurt Ekholm、Lea von Mickwitz、Birger Kaipiainen、Rut Bryk
左側:Michael Schilkinの炻器製の類人猿の彫刻、真ん中:1930年代のToini Muonaの炻器製の花瓶、右側:1950年代のFriedl Holzer-Kjellbergの器
Birger Kaipiainenの台頭
Birger Kaipiainen が1937年にアラビア社に雇われたとき、彼は若干22歳で、アート部門に所属することとなり、壁のタイルや、ティーポット、そして花瓶のモチーフ等を主に手掛けました。彼自身はイタリアのルネッサンス期の芸術に大きな影響を受けており、そのことは人物像を横向きで制作したり、ボッティチェリの作風のように描いたりといったところから見て取れます。Kaipiainenはすぐに影響力のあるデザイナーへと成長し、一点ものの作品やテーブルウェアシリーズのParatiisi(パラティッシ)でその名をとどろかすこととなります。
左側:Birger Kaipiainenが1941年にデザインした“The paradise girls"、右側:Birger Kaipiainenが1969年にデザインしたParatiisi(パラティッシ)シリーズ
アートリーダーとしてのKaj Franck
1939年の第二次世界大戦の勃発時には、アラビア社は巨大陶磁器メーカーとなっており、1,000人以上の従業員を雇うまでに成長していましたが、終戦頃には、重要な輸出マーケットが弱体化してしまっていました。1945年、Kaj Franckは新規デザイナーとして雇われ、当時アラビア社が必要としていた同社のパワーの源となっていきました。3年後、彼はKurt Ekholmからアートリーダーの地位を引き継ぎ、シンプルでそれでいて美しい食卓風景に重きを置いたテーブルウェアを創り出していきました。
左側:1952年にデザインしたKiltaシリーズのテーブルウェア、右側:1949年にデザインしたSointuシリーズのコップ
戦後はフィンランドにとって厳しい状況が待っており、テーブルウェアはもちろんのこと、日常に関わるすべてのものが欠如していました。そのような状況が、Franckに、各部分のそれぞれに機能性を持たせたKiltaシリーズをデザインさせるきっかけとなりました。彼の頭の中には、購入者が一点一点個別のテーブルウェアを購入できるとともに、一方であわせて持っていれば機能性あるセットとしても使用できる、そのようなものを創りたいとの考えがありました。Kiltaシリーズは古いテーブルウェアシリーズとも違和感なく合わせることができました。Franckはこのように機能性をうまく組み合わせる考え方を広めましたが、これは当時革新的な新しいアイデアだったのです。
左側:Rut Brykのカラフルな陶板、右側:1950年代のOiva Toikkaの一点ものの花瓶
フィンランドデザインの世界的躍進
1951年、3年毎に行われるミラノ展示会で、アラビアのデザイナーたちは7つもの賞を受賞し、フィンランドデザインは世界的に一目置かれる存在となりました。Rut Brykにいたっては、カラフルなファイアンス製の陶板で見事グランプリに輝いたのです。その後、1954年、1957年に開催された展示会でも賞を受賞し、フィンランドデザインは確固たる地位を獲得しました。1950年代半ば、アラビア社は陶板、花瓶、彫刻といった分野で慣習的な作品を創り出すことを得意とするOiva Toikka (1931-)を迎え入れますが、彼はのちにフィンランドガラスデザイナーの中で最も有名な人物となりました。
左側:アラビア社の仲間たちと談笑するUlla Procope、右側:1960年代にUlla ProcopeがデザインしたRuskaシリーズのテーブルウェア
フィンランド陶器と言えばブラウン!
1950年、アラビア社の工房では、作品を創り出す窯や耐火性のある材質を使った作品を生み出すことに腐心していました。その研究成果を作品に取り入れたのがUlla Procopé (1921-1988)が製作した質素なデザインのRuskaシリーズで、それは1960年代に爆発的に人気が出て普及し、フィンランド陶器と言えばRuskaシリーズと言われるくらいにまでなりました。
1900年代後半の心温まる北欧デザイン
20世紀の後半、数多くのアラビア社のデザイナーたちが質の高い陶磁器製品を生み出ししました。Taisto Kaasinen (1918-1980)、Lillemor Mannerheim (1927-1994)、Howard Smith (1928-)といった面々が創り出した作品たちは、今日でも多くの北欧の国々の家庭に飾られています。それらは、とても心が温まるような、ユーモアのある、そして時には、少し皮肉を含んだ一面が見られ、今でも多くの人々の心を惹きつけています。
Peter Winqvist, 1960s
Eira Käär, 1954
Howard Smith, 1980s
Lillemor Mannerheim, 1984
Birger Kaipiainen, 1970s
Gunvor Olin-Grönqvist, 1960s
Pauli Partanen, 1980s
Kaarina Aho, 1959
Taisto Kaasinen, 1960s