Gustavsberg


Gustavsberg(グスタフスベリ製)のスウェーデンの陶磁器

グスタフスベリは1826年に創業始め、スウェーデン陶器のフラッグシップとして活躍してました。何年にもにわたってわたり、会社とそこのデザイナーは数多くのアートの陶器やテーブルウェアを産んできました。どのグスタフスベリのデザイン、あなた好きですかな?



グスタフスベリ小史
ー定評あるスウェーデンの陶磁器工場


グスタフスベリの陶磁器の生産のルーツ

ストックホルムの南東部にあるグスタフスベリ社の陶磁器の生産には、長く変化に富んだ歴史があります。貴族であるグスタフ・ガブリエルソン・オクセンシェルナは、早くも1640年代にこの地域にレンガ工場を設立しました。グスタフが亡くなった後、彼の妻マリア・ソフィア・デ・ラ・ガルディは、彼にちなんでレンガ工場を命名しました。子供を持つ21歳の未亡人は再婚することはなく、何としても17世紀スウェーデンにおける一流の女性実業家になるつもりでした。

Painting of Maria Sophia de la Gardie

マリア・ソフィア・デ・ラ・ガルディの肖像

Tyresö castle, the home of Gustaf Gabrielsson Oxenstierna and Maria Sophia de la Gardie

グスタフ・ガブリエルソン・オクセンシェルナとマリア・ソフィア・デ・ラ・ガルディの家、ティレソ城

マリアはグスタフスベリに陶磁器工場を建設するために、オランダから名匠を採用しようとしました。しかし、この計画は実現しませんでした。 なぜならオランダ人の優れた陶工達は、誰も寒いスウェーデンに移住したくなかったのです。グスタフスベリの陶器の生産はしばらく保留状態を余儀なくされました。


グスタフスベリの磁器工場の始まり

1826年、卸売業者のハーマン・オーマンは古いレンガ工場を取り壊し、現地で磁器工場を開業しました。彼の計画は、成長するスウェーデンの中産階級に磁器製品を供給することでした。しかし、その工場には大きな生産上の問題があり、製品の品質は水準の低いものでした。芸術家は採用されておらず、グスタフスベリの陶器はドイツやイギリスの様式と装飾の影響を強く受けたものでした。

Gustavsberg pottery series “Ecclesial” from the 1840s

グスタフスベリ陶器シリーズ 「エッセンシャル」 1840年代

Drawing of Gustavsberg porcelain factory in the 1870s

1870年代のグスタフスベリ磁器工場の製図

19世紀半ば、サムエル・ゴーデニウスと息子のヴィルヘルム・オーデルベルクがグスタフスベリの陶器製造を引き継ぎました。新しい指導者は、産業投資と作業プロセスの近代化への道を拓きました。19世紀の終わりには、その工場は浴室陶器と美術陶芸の大規模な生産元になっていました。美術陶芸の中で最も注目に値するのは、マジョリカ焼きとパリアン陶磁器です。

Parian figurine “The three Graces” from the mid 19th century

パリアン陶磁器のフィギュリン「三美神」 19世紀半ば


マジョリカ焼きのフラワースタンド 19世紀後半

ジョセフ・エクベル~独創的な釉薬の時代

ジョセフ・エクベル(1877年~1945年)は、地元のグスタフスベリの少年達の多くと同様に、12歳で陶磁器工場で働き始めました。最初彼はアシスタントとして雇われましたが、そのうち自ら作品を作り始めました。 ジョセフと同僚のグンナー・ ヴェンネルベリは模様がガラス張りの表面に刻まれていることで有名な、ズグラッフィートの技法を共同開発しました。その陶芸作品は、1900年のパリ万博で好評を博しました。グスタフスベリの陶器は、世界でもトップクラスの芸術作品として認知されようとしていました。

Josef Ekberg sgrafitto vase from 1918

ジョセフ・エクベル ズグラッフィート技法の花瓶 1918年

Josef Ekberg in the Gustavsberg factory

グスタフスベリ工場のジョセフ・エクベル

ジョセフは20世紀初頭の「スウェディッシュ・グレース」時代を代表する1人です。このスウェーデン風アールデコの特徴はは、大胆な色と強いコントラストを持つ独特なデザインです。彼のラスター釉の作品は、幾何学的な形、艶消しの青緑釉、金彩などによって、その時代の見事な例となっています。

Workers at the Gustavsberg factory in the early 20th century

20世紀初頭のグスタフスベリ工場の労働者

Josef Ekberg 1930s urn with luster glaze

ジョセフ・エクベル ラスター釉の壺 1930年代

ヴィルヘルム・コーゲ~グスタフスベリと現代社会

ヴィルヘルム・コーゲ(1889年~1960年)は、1910年代にスウェーデンでカラフルなポスターでまずその名を馳せました。すぐに若きヴィルヘルムは、新しいアイデアを持つアーティストを探し求めていた、グスタフスベリ工場の注目を集めました。ヴィルヘルムは、陶磁器制作の経験が不足しているにもかかわらず、工場からのオファーを受け入れました。彼の仕事は、工場の機能項目に芸術的なタッチを加えることでした。

The tableware series “Formosa” from 1921

テーブルウェアシリーズ「フォルモサ」1921年


遠景に見える1938年のグスタフスベリ工場

1年もしないうちに、ヴィルヘルムは機能的なテーブルウェアシリーズ「Liljebla」(リリー・ブルー)を制作しました。このシリーズは、現代のスウェーデンの美術産業の発祥の地として知られる、1917年開催のリリエルバルク展覧会で成功をおさめました。 美しくありながらも実用的な家の装飾を制作するために、芸術家と産業が一致団結したのはこれが初めてでした。展覧会の後、ヴィルヘルムはグスタフスベリのアートリーダーに任命されました。ヴィルヘルムのリーダーシップの下で、グスタフスベリのテーブルウェアシリーズは、合理的な生産と多機能部品に関する機能主義的なアイデアを追求しました。

Wilhelm Kage working on a Farsta piece

ファルスタを制作するヴィルヘルム・コーゲ

Footed Farsta bowl from the 1940s

脚付きのファルスタボウル 1940年代

ヴィルヘルムは、1930年のストックホルム展で、彼の最も高級な陶芸作品であるファルスタ・セットを発表しました。そのセットは、花瓶と壷、彫刻、灰皿、半メートルの高さの作品で構成されています。それらの作品には 「ファルスタ」と刻印されており、スウェーデンの陶磁器界では最高級品とみなされています。

Signpost of the the Gustavsberg studio with the legendary hand

伝説の手とグスタフスベリ・スタジオの看板

Wilhelm Kåge’s Argenta vase from the 1940s

ヴィルヘルム・コーゲ アルジェンタの花瓶 1940年代

ヴィルヘルム・コーゲは、1942年にグスタフスベリにおいて陶芸工場の創造的な中心部になるであろうグスタフスベリ・スタジオを創設しました。高級なシリーズにはグスタフスベリ・スタジオで、別の色で刻印が入れられました。ヴィルヘルムは主に茶色でスタジオの手のマークを加えました。他の陶芸家は、青、黒、黄色、赤を使用しました。

ベルント・フリーベリ~-フスタフスベリ主任陶芸家

ベルント・フリーベリ(1899年~1981年)は1934年にグスタフスベリ工場に就職しました。最初の年、彼はヴィルヘルム・コーゲの陶工として働いていました。ベルントの着任は、コーゲのアート作品の品質の大幅な向上によって特徴付けられます。まもなく、彼はグスタフスベリで並ぶ者のない主任陶芸家になりました。初期のキャリアを通じて、フリーベリは芸術的野心を知られていませんでした。彼の芸術的デビューは42歳までありえなかったでしょう。彼は繊細さ、感覚的なフォルム、そして華麗な釉薬に対する眼力を持つ完璧主義者として知られるようになりました。

Berndt Friberg vase with swelling body and haresfur glaze from 1966

ベルント・フリーベリ アニアラ釉の膨らんだ花瓶 1966年

Berndt Friberg working the throwing whee

ろくろを回すベルント・フリーベリ

ベルントの作品のサイズは、数センチメートル以上もない大きさから、大きな床置きの花瓶まで多岐にわたります。その輪郭は、宋代の中国の炻器を含む古典的なスタイルを連想させるものでした。彼は自身の有名な「えんま帳」に細部を記録しながら、常に釉薬を洗練させていったのです。

スティグ・リンドベリ~グスタフスベリの風変わりな天才

若き芸術家、スティグ・リンドベリ(1916年~1982年)は、1937年にグスタフスベリ工場に、アポイントなしでサマージョブを探しに行きました。「 もし御社が私を採用すれば、工場の仕事が必ずありますよ」。スティグはアシスタントとして採用されましたが、その情熱的なエネルギーと新鮮なアイデアの豊富さによって、すぐに頭角をあらわしました。

Stig Lindberg decorating faience objects in the 1940s

ファイアンスを装飾するスティグ・リンドベリ 1940年代


スティグ・リンドベリ ファイアンスの花瓶 1940年代

ヴィルヘルムとスティグは、1930年代後半から1940年代初頭にかけて、注目に値するファイアンスシリーズを共同開発しました。ファイアンスシリーズは、赤みを帯びた陶器からなり、乳白色の釉薬で覆われていて、大胆な色彩と手の込んだ装飾が施されています。1940年代のフラワーモチーフは、1950年代から1960年代において当時の典型的な幾何学的装飾へと徐々に移行していきました。ファイアンスシリーズは大成功をおさめ、いまなおスウェーデン中期デザインの最も有名なシンボルのひとつです。

Luma TV designed by Stig Lindberg

スティグ・リンドベリがデザインしたLuma TV

Stig Lindberg working as artistic leader. Probably early 1950s

アートリーダーとして働くスティグ・リンドベリ。おそらく1950年代初め。

1949年に、スティグ・リンドベリは芸術的リーダーとしてヴィルヘルム・コーゲの後継者となりました。スティグの影響は、デザイン界全体に急速に拡がりました。それはスリムで繊細なストーンウェアのテレビセット、洗面用陶器、食器、家のインテリア、テキスタイル、子供用の本、エナメル、ガラスアートにまで及びました。スティグの生涯にわたる芸術的制作の幅広さは失われやすいものです。彼は工業デザインの芸術的価値と、より伝統的な芸術作品とを区別しませんでした。有名な彼の言葉にあるように、「私にとっての画鋲は、野の花と同様に詩的なのです」。


リサ・ラーソン~優しく心暖まるグスタフスベリの陶器

リサ・ラーソン(1931年~)は、1954年にスティグ・リンドベリに採用されました。 グスタフスベリ工場は1950年代と1960年代に発展し、リサはすぐに最も有名なデザイナーの一人になりました。彼女の連作では、しばしば人や動物が優しくぽっちゃりとした形で描かれています。その表現は温かくユーモラスで、時にはちょっと皮肉のきいたものでした。

Lisa Larson working on large unique cats

大きくてユニークな猫に取り組んでいるリサ・ラーソン

Curvaceous ABC-girl Emma with chromo print

リサ・ラーソンの曲線的でクロムプリントのABCガール、エマ

素朴でプリミティブなアートは、しばしばリサの独創的な作品にひらめきを与えます。自然に生まれる思い付きは、大体においてに完璧主義よりも重要視されています。彼女は自身のユニークな作品において、伝統的なテクニックや彫りあげた装飾、粗い表面、艶消し釉などを頻繁に試しています。

Japanese woman figurine from 1958

リサ・ラーソンの素朴な日本女性 1958年

Lisa Larson inspecting the Japanese woman figurine

日本女性の彫刻を点検するリサ・ラーソン

リサ・ラーソンはいつも、石灰質の粘土と、粉砕された耐熱性セラミックであるシャモットを混合しています。シャモット炻器は、彼女の陶器の特徴であるきめの粗い素朴な外観を作品に与えます。

グスタフスベリ陶器の困難な時代

1970年代から1980年代は、グスタフスベリとってより困難な時期でした。工場にとって低所得国との生産競争がより困難であることが分かったのです。 1987年、工場は外国の同業他社に売却され、その後はグスタフスベリでの生産が終了しました。

しかし間もなく、手作りの陶器の生産がこの地域で再び開始されました。リサ・ラーソンと彼女の元同僚たちは1991年にケラミークステューディオン・グスタフスベリを設立し、その連携は彼女の芸術的才能を活性化させました。1996年、グスタフスベリ工場は、スティグ・リンドベリの食器シリーズの一部を小規模生産し、労働者協同組合として再開されました。

Gustavsberg’s harbor today

今日のグスタフスベリ港

Lisa Larson outside her home

彼女の家の外にいるリサ・ラーソン

Lisa Larson’s dove from the 1990s.

リサ・ラーソンの鳩 1990年代